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watanabe sampoudou

コラム

  • 古染付と私 福山人
  • 〈鼎談〉「即如」の美 在りのままに生きる

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福山人
珍品堂さんを知ったのはずっと後のことです。「甲斐」の鶴岡さんと一緒によく家に来ました。あの人は福井の人なのだけど、福井へは行かず、松任にお寺があってよく松任に行っていましたね。
他にはどんな方がいらっしゃいましたか。
福山人
『座辺の李朝』の中川竹治さんも家に遊びに来て泊まったことがあります。あの人は無傷なものと傷ものとどっちかを選ぶとしたら傷ものの方を選んでいた。完璧なものは、私らにも買えないけど、私は傷ものを買わなかった。繕いのあるものは幾つか持っていますけど…。中川さんには、随分李朝について教えてもらいました。
傷ものでもいいものは確かにいいですからね。先生は李朝の美を「即如」と表現されていますが、それは作意のない無心の造作、虚飾のない在りのままの生き方ということですか。
福山人
柳さんは「不二の美」と言いますが、私の場合は「即如」なのです。
先生はそこから仏教美術に行かれた訳ですが、何となく分かるような気がします。古陶磁を美しいものとして眺める人は多い。しかし、先生のように「その内に秘めるほのかで、それでいて柔らかな意味(仏性)を感応することに尽きる」と言い切れる人はいません。先生と出会って、骨董を手に入れるということは、お金だけでも、数だけでもない。その美しいものへの愛着を通して、「即如」という在りのままの生き方を知ることだと教わりました。

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